今年は梅雨入りがとても気になる しらいわ です。
なぜかな???
とくに理由はないのですが。。。
さて、昨日、実家の飼いネコが亡くなりました。
悲しかったけれど、仕方がない。
亡くなってしまったのだから、仕方がない。
彼女は実家で過ごした12年間、幸せだったか、
と考えましたが、幸せだったとしか言えないと思う。
ほぼ死にかけた状態で実家に来て
実家で拾われて育ててもらって、
食事もちゃんともらえたし、
安全で暖かい寝床もあったし
たまに人間にじゃれたり、
外でノラ猫にいじめられて、
追いかけられたりはあったけれど、
総じて幸せだっただろうと思う。
車にはねられてしまったから、
寿命は全うできなかったけれど
それでも十分幸せだったはず。
生存中の幸せ - 寿命を全うできなかった不幸せ
という数式で表したとしても、
十分にプラスすぎるプラスだろう、
と思いました。
そうしたら気持ちが楽になりました。
実家の両親もつらいと思いますが、
、
ネコを火葬にしてもらって
粉になった骨をもらってきて
庭の木の根元に撒くことにしたそうです。
ネコが好きでよく登っていたカキの木の根元に。
今後、彼女はカキの木に吸収されて
カキの木になるのかもしれないですね。
そういう生き方もいいのかも、と思いました。
生物は死に向かって生きる。
それが生物の宿命だから仕方がない。
それでも、死ぬために生きるわけではない。
生きる理由はもっとほかにある。
だから、寿命を全うしきれなくてもいいのではないか。
生きている間の幸せ - 寿命前に亡くなった不幸せ
が、「正」である限り、その命は幸福だったはず、
それであるならば
早すぎる死を憐れむ必要はないのではないか。
そんな風に思いました。
冷たい雨降る五月の夜、
亡くなってしまったネコの姿を思い浮かべながら。