昨日、お客様のところへ車で行くために自宅を出たときには強い雨が降っていました。
家の近くの陸橋を渋滞気味に進んでいると、通学用の白のレインウェアを来て、陸橋の急坂を立ちこぎで登って行く高校生数名が見えました。
冷たい雨の降る中、視界も悪いだろうに、一生懸命、自転車を立ちこぎしながらペダルを回してゆく高校生たちの後姿を見ていると、考えさせられるものが・・・。
40歳になった僕が雨の中レインウェアを来て自転車をこぐということはもうないでしょう。そんなことをしたら今の僕はすぐに風邪を引いてしまって、3日くらいは寝込むことになる。
その事態を回避するために家族に車で送ってもらったり、バスか、あるいはタクシーにするかも。。。
スーツやワイシャツが雨にぬれると気持ち悪いし、髪はキャップでペタンコになるし、自転車はパンクしたまま放置してあるし。。。
そんな言い訳ばかりを考えながら、渋滞気味の車を少しずつ前に進めてゆきながら、それでも学校に行くしかない高校生たちの状況に思いを馳せました。
冬の終わりの冷たい雨が降る朝に、レインウェアを来て、朝早い時間に学校に向かわなければならない彼らのことを。
レインコートで視界が悪く、素手の手指は冷たく自転車のハンドルやブレーキを握るのも大変だろうに、それでも陸橋の急坂を立ちこぎしながら力強く前進する彼らのことを。
もう、いまのぼくには彼らと同じことをする自信も、体力もありません。体の免疫力も下がったからすぐ風邪を引くし、筋力だって衰えたかも。
それでも、もう20年以上前になるけど高校生のころは僕だって彼らと同じことをしていた。
でも、40歳になった僕は彼らと同じことはしない。
そんな風に思いながら、自分が失ってきたものを思い浮かべました。
20年以上前には持っていたけれども、いまは失ってしまったもの。
当時は意識していなかったけれど、本当はとても輝かしく大切だったもの。
この20数年、僕はそういうものを切り売りしながら生きてきた、生きてきてしまった、、、。
「あの頃の未来に僕らは立っているのかな
すべてが思うほどうまくは行かないみたいだ」
という歌があります。
高校生の頃、僕が思い浮かべていた未来に、いま、自分が立っているのか。
あの頃イメージしていた未来に、僕の現実は一致しているのか。
そんなことを思いました。
冬の終わりの冷たい雨が降る中、車の運転席から自転車で過ぎ去ってゆく高校生を眺めつつ、過ぎ去った20数年を思いながら。
・・・と、ぼーっとしていると、後ろに止まっているトラックの運転手が、クラクションを鳴らして、早く進め、僕を急かす。
ちぇっ、いいじゃないか、少しくらい感傷的になって、立ち止まっていたって。
人間、立ち止まって考えることも必要だぜ
なんてね。